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一月前に戻ったので、今度はわたくしから仕掛けます
一月前に戻ったので、今度はわたくしから仕掛けます
Author: 紡里

第一話 運命の一日

Author: 紡里
last update publish date: 2026-07-21 16:25:48

目の前にカーヒーコーヒーが置かれた。

湯気がゆらりと立ちのぼる。

本来なら、優雅なひと時を演出するはずの光景だった。

馴染みのメイドが、卵白を泡立てて甘くしたメランジェを、わたくしのカーヒーにだけたっぷりと乗せる。

いつもなら、親友のカタリンのカップにも同じように乗せるのに――

ここはカタリンの屋敷だ。

貴族学園の帰りに、どちらかの家へ寄ることは珍しくない。

友人同士、気の置けない会話を楽しむのが常だった。

けれど、わたくしはカップに手を伸ばさない。

··、この場所で。

わたくしはこの飲み物を口にした。

そして――倒れた。

「どうしたの? いつもは遠慮せずに飲むじゃない」

れた声音で··が、そう勧めてきた。

「ほら。早くしないとメランジェが溶けてしまうわ」

甘く、可愛くお強請ねだりするときの声で言われた。

以前のわたくしなら、親友の勧めを断ることなどなかった。

けれど、今は違う。

「どうして、そんなに飲ませたいの?」

「え?」

カタリンの笑顔が固まった。

「喉が渇いたろうと思って――」

「そう?」

わたくしはカップではなく、カタリンの顔を見る。

「それなら、あなたも喉が渇いているでしょう?」

「……私?」

「ええ」

わたくしは微笑んだ。

「親友ですもの。一緒に飲みましょう?」

前回のわたくしは、なんの疑いもなく飲んでしまった。

そのことを思い出すだけで、口の中に苦い味がよみがえるような気がする。

「……そうね、飲むわ」

 そう言って、カタリンはわたくしの顔から目を離さずに、自分のカップに口をつけた。

 彼女は一口だけ飲むと、にこりと笑って見せる。

「ほら、なんともないでしょう?」

「……変な言い草ね。却って怪しく聞こえるわ」

わたくしは彼女のカップに視線を落とした。

カーヒーは同じモカポットから注がれた。

だとすると、毒が入っているのはメランジェの方――

「し、失礼ね!」

カタリンが焦ったように言い返した。

「それなら、わたくしのカップからも一口召し上がってくださる?」

わたくしは自分のカップを彼女の方へ静かに差し出した。 

「無理にブラックを飲む必要はありませんもの」

わたくしの前に置かれたカップをソーサーごと持ち上げて、彼女の目の前に突きつけた。

「ど、どうして……」

「さぁ? あなたの協力者が寝返ったのかもしれないわね」

カタリンがメイドを睨みつけた。

――そう、その女が共犯者なのね。

貴族学園で出会い、仲良くして三年目に入ったところだった。

その間、あなたは何度もわたくしのことを笑っていたのでしょうね。

婚約者を寝取られても気付かない、間抜けな女だと。

「誤解しないでね? イロナの話で盛り上がっていただけよ」

そんなカタリンの言葉を信じていた、愚かな女ですもの。

もう、他愛もない話で笑い合った、あの日々は戻ってこない。

受け取ってもらえなかったカップを、わたくしはテーブルに戻す。

わずかな未練が手元を狂わせ、ガチャリと無作法な音を立てた。

カタリンは、失敗を悟り青ざめている。

詫びの言葉も言い訳も、カタリンの口から聞くことはできなかった。

「残念だわ」

誰に言うともなく、わたくしはつぶやいた。

反省してくれたら……そんな甘さは、今、捨てなければならない。

わたくしは意を決して、胸元から笛を取り出し唇に当てた。

ピィー!

それを合図に、馬車に隠れていた魔術師と騎士たちが応接室に駆け込んでくる。

制止しようと駆け寄った使用人たちは、気絶させられるか魔術で拘束されるかして、あっという間に無力化された。

カタリンもメイドも、すぐに取り押えられた。

その間に、魔術師はティーカップへ分析の呪文をかけていく。

「あ~あ。致死量の毒だね」

魔術師の口ぶりは、少し不謹慎ふきんしんに思えた。

カタリンの顔が、悔しそうに歪む。

「それで?」

わたくしは拘束されたカタリンから少し距離を置き、問いかけた。

「あなたの単独犯? それともわたくしの婚約者と共謀しているの?」

「私たちは愛し合っているのよ! あなたと違ってね」

カタリンは叫ぶように言い返した。

「それなら、わたくしとの婚約が解消されるまで待つべきだったわね。こんな姑息な真似をするのではなく……」

わざと皮肉を込めて言う。

妊娠してしまったから、カタリンは悠長なことを言っていられなくなったのだ。

ヘーデルヴァーリ伯爵夫人は、新興男爵家の娘など認めないだろう。 

それでも、莫大な資産を武器に、説得する道はあったはずだ。

あるいは、今、抱えている妊娠という醜聞を逆手にとって、結婚を認めさせることができたかもしれない。

けれど、そんなことを今さら言っても仕方ない。

「馬鹿な子ね」

わたくしはカタリンに見えるように、微笑んだ。

「すぐに楽な方に流される。大変でもきちんと筋を通して、話し合えば良かったのに」

わたくしだって、結婚前から私生児がいるような男は願い下げだわ。

「な……なに、それ……」

カタリンが目を丸くしている。

わたくしが言っている内容は正論なのだけど、彼女の中にはその選択肢がなかったのかしらね。

ふと、あることを思いつく。

メランジェが入ったボウルから、一さじスプーンですくいあげた。シルバーではなく陶器のスプーン。

わざわざ、毒に反応しないスプーンを用意したのね。

わたくしは拘束されているカタリンのあごをつかみ、顔を上向かせた。

そして、その額にメランジェをぼたりと垂らしてみた。

「うぎゃああああ!」

応接室に、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。

「熱い? 痛い? ……飲んだ時は、熱くて喉が焼けて苦しかったわ」

わたくしはカタリンにだけ聞こえるような小声で、教えてあげた。彼女は痛みでそれどころではなく、耳に入っていないようだけれど。

これで少しは溜飲りゅういんが下がるというものだ。

前回のわたくしは、何一つ疑うことなく毒を口にし、あっけなく命を落とした。

死んだはずなのに、目を覚ますと一か月前へ戻っていた。

あまりにも生々しい悪夢を見たのかと思った。

けれど、記憶どおりの出来事が毎日のように繰り返されて、ついにこの日を迎えた。

そして今、この光景が、夢ではなかったことを証明している。

やり遂げたという思いと、虚しさが胸に去来した。

カタリンは、立派な体格の騎士ですら押さえ込むのに苦労するほど暴れている。

「これ、肌からも吸収されますの?」

「まあ、少しはね。でも、粘膜から摂取したときほど危険じゃないよ。命に別状はない。少し跡が残るくらいかな」

魔術師は飄々ひょうひょうと答えた。

「あら、そうなの」

額の真ん中に垂らしてしまったわ。

でも、謝るつもりはない。

殺される苦しみに比べたら、ずいぶん軽いものだと思わない?

前回、わたくしは最終的に呼吸ができなくなり、死んだのだと思う。

涙だけでなく、鼻水やよだれまで垂らし、見るも無惨な姿で這いつくばった記憶がある。

苦しくて、悔しくて……悲しかった。

一月前へ巻き戻ってから注意深く周囲を見れば、怪しいことはいくらでもあった。

前回、気がつかなかったのが不思議なほどに。

わたくしは、自分が邪魔者として憎まれているとも知らず、のんきに笑って過ごしていた。

なんて愚かだったのだろう。

そう思い知らされるたび、自己嫌悪で胸が張り裂けそうになった。

   ***

あまりの騒ぎに、この屋敷の主が姿を現わした。カタリンの父親だ。

「ここで何をしているんだね」

一代で巨万の富を築いた男爵だけあって、さすがの胆力だ。

「毒殺未遂の現行犯として、お嬢様を拘束しています」

騎士がきっぱりと言い切った。

「君たちの勘違いじゃないかね?」

男爵は驚く様子もない。

――娘が何をしようとしていたか、知っているのかもしれない。

「勘違いかどうかは、お話をうかがってから判断します。お嬢様はお預かりします」

 騎士が歩き出すと、男爵はその腕をがしりと掴んだ。

「勘違いだろう、そうでなければ……」

その瞬間、父親の体からかすみのようなものがゆらりと滲み出した。

猿ぐつわをされたカタリンは、くぐもった声で嬉しそうにうめいた。

「はい。父親も現行犯逮捕だね」

魔術師はさらりと宣言し、魔術で生み出した紐を男爵へと走らせる。紐は生き物のように男爵へ巻きつき、あっという間に拘束してしまった。

「精神に干渉する禁術か。このブレスレットは魔道具だね。どこで入手したのか、正直に白状してもらうよ」

魔術師が空へ向かって信号弾を放つと、屋敷の外で待機していた増援の騎士たちが入ってきた。

「……ご令嬢の妄想じゃなかったのか」

そんな誰かのつぶやきが耳に入る。半信半疑でも、来てくれたことに感謝しよう。

わたくしは騎士たちとともに騎士団の詰め所へ向かい、事件の経緯についての調書に協力した。

時が巻き戻っていることを隠して話すのは、なかなか大変だ。考えすぎて、頭が痛くなりそうだ。

その後、騎士団の馬車で屋敷まで送ってもらう。夕食の時間には間に合うとほっとした。

   ***

家に着いて、カタリンの屋敷に馬車を置いてきたことを思い出した。明日にでも取りに行かなければ――そう考えるだけで気が重くなる。

出迎えてくれた執事にそれを話すと、御者は状況を判断してすでに帰ってきているという。

安心したところに、追加の情報があった。

「ヘーデルヴァーリ伯爵令息がお待ちです」

「え、なぜ?」

カタリンと親密な関係になってから、理由をつけて我が家を避けていたというのに。

「もうすぐ夕食の時間なのに、まだいらっしゃるの?」

約束もなく晩餐の時間まで居座るなど、無作法にも程がある。

仕方なく応接室へ入ると、マールトンはソファから腰を浮かせた。

「無事だったんだね」

心から心配していたかのような口ぶりだった。

「何がでしょう?」

疲れきっているせいか、この男が元凶だと思っているからか。

自分でも驚くほど冷たい声が出た。

「だから、彼女の誘いには乗るなと言っただろう? 本当に仕方のない子だなぁ」

そう言って、彼は懐から小瓶を取り出す。

「解毒薬だ。ほら」

……この人は、カタリンが凶行に及ぼうとしていると知っていて、黙っていたのだ。

「駄目だよ」と口にするだけで、理由を説明することも、カタリンの屋敷に乗り込んで防ぐ様子もなかった。

まったく信用できない男だ。

「『彼女』で通じると思っているなんて……まるで、特別な存在だと言っているようなものね」

つい、嫌味が口をついて出た。

胸に湧いたのは、落胆と怒りだった。

カタリンの殺意を知っていたのに。

わたくしが傷つけられるとわかっていて、ただ成り行きを見ていただけの男。

まだ取り繕えると思っている姿が、ひどく滑稽に映った。今さら……だ。

一度目のわたくしなら、きっと泣いて縋っていたでしょう。

「怖かった」と訴え、「どうして力尽くで止めてくれなかったの?」と彼に弁解の余地を与えた。

けれど、今は違う。

身体と一緒に、心まで一度死んでしまったみたい。

……いいえ。

巻き戻ってからの一か月で、少しずつ心が枯れていったのかもしれないわ。

「何をおっしゃっているのか、わかりかねます」

わたくしは、きっぱりと彼を拒絶した。

気持ち悪い。

この人が何を考えているのか、もう理解したくもない。

そんな嫌悪感が、湧き上がってきた。

「君を助けるために、俺が時間を巻き戻したんだよ!」

マールトンは、まるで素晴らしい偉業を成し遂げたかのように胸を張った。

ああ、そういうこと……。

今、それを切り札として使うのね。

だから何だというの?

恩に着せて、わたくしに何を求めているの。

「……」

無言で立ちすくむわたくしを、マールトンはもどかしそうに見つめている。

人の善性を信じ、言われた言葉を信じていたわたくしは、もういないわ。

いえ、信じたかったのでしょうね。

婚約者からの愛も、親友との友情も。

「俺は君を愛しているんだ」

突然告げられた言葉が、今のわたくしにはとても寒々しく聞こえた。

あの··がお茶会や観劇に乱入してきたとき、あなたはどうしていた?

嬉しそうに鼻の下を伸ばしていたではないか。

鼻にかかるような甘い声。勢いのある新興貴族の令嬢。彼女と陰で親しくなりたいという男性は、少なくなかったようだ。

だからこそ、彼女に選ばれたということが自慢だったのだろう。

けれど、それを堂々と自慢することはできない。ただの浮気だから。

その歪んだ優越感と罪悪感が、この男の心を少しずつ狂わせていったのかもしれない。

いい人ぶらないで、婚約解消してくれればよかったのに。

捨てられた··と呼ばれても、殺されるよりましだったわ。

「あの女が、俺を誘惑してきたんだ」

自分から甘い毒にふらふらと近寄っていったくせに、何を言っているのだろう。

「前回はあいつと結婚してしまった。でも、君を毒殺したと知って、あいつを殴ってやったんだ。

それで、君とやり直すために……」

時間を遡るのも禁術だ。

わたくしは、魔術師に借りた魔導具をこっそり起動した。この男の自白を、記録しておかなければ。

「今、あなた……時間を巻き戻したと言ったの?」

信じられない、という表情を作る。棒読みだったかしら。大根役者と言われるかもしれないが、大切なのは演技力ではない。

この男の口から真実を引き出すことだ。

「そうだ。君も記憶があるんじゃないのか?

最近、少し変わったよ。冷たくなったんじゃないかな」

「――ある方が、教えてくださったんです」

録音しているので、自分にも記憶があるとは言えない。

「マールトン・ヘーデルヴァーリとカタリン・ヴァッシュが、浮気をしていると」

「それは……。少し気が合うだけだと言たじゃないか。信じてくれ」

「それなら、なぜ今日、彼女がわたくしを招くと知っていたのですか?」

言い逃れできないように、追い詰める。

「カタリンと示し合わせていたのではなくて?」

この会話を聞いた人は、二人が共犯だと思うだろう。

マールトンは、カタリンが捕まったことをまだ知らない。

「違う! 前回は知らなかったし、今回は君を止めようとしただろ!」

「理由もおっしゃらず、ただ『行かない方がいい』と言っただけでしょう?」

わたくしは冷静に指摘する。

「それは『止めようとした』うちに入るのかしら?」

「君は……何もわかっていない!」

マールトンは声を荒げた。

こうやって威圧して、わたくしを自分の思い通りにしようとする。

以前のわたくしは、それを心配ゆえの愛情だと思っていた。

でも、愛ではないのだ。

「そうだ。急いで飲まないと」

そう言って強く腕を掴まれたので、もみ合いになった。その拍子に、その解毒薬とやらの瓶が床へ落ち、砕け散る。

本当に毒を飲んでいたのなら、こんな悠長に話などしていられない。あの毒はすぐに症状が出たのだから。

呆れるほど間抜けな男だ。

「なんてことを! 君を死なせたくないんだ」

嘘を吐いているは思えないくらい、迫真の演技だった。

これなら、一回目のわたくしが騙されても仕方ないと感心する。

「マールトン様が錯乱なさっているわ。誰か、助けて!」

わたくしは困惑しているように見せかけて、叫んだ。

控えていた侍女が廊下へ出て、従僕たちが駆けつける。彼らは抵抗するマールトンを取り押えた。

侍女はわたくしの乱れてしまった髪を整えながら、小言を言った。

「『助けてと言うまで黙って見ていろ』などと……肝が冷えました」

わたくしも、マールトンがあんなに必死になるとは予想できなかった。

マールトンは「どうしてわかってくれないんだ」と言いながら、もがいている。

彼の家の馬車を待機場所から屋敷の入り口に移動させ、従僕たちが彼を押し込むように乗せた。

「落ち着いてくださいませ。本日はもうお帰りになったほうがいいと思いますわ」

わたくしはマールトンに形ばかりの気遣いの言葉をかけた。

御者はただならぬ雰囲気を察したようで、急かすように馬を走らせた。

   ***

それから食堂へ向かい、父に事情を説明した。

「マールトンは、わたくしが毒殺されるはずだったと言いました。カタリンと共謀しているに違いありません」

父はすぐに騎士団へ通報してくれた。禁術を使ったというマールトンの自白を録音した魔道具を、証拠としてたくした。

カタリンはもう捕まっている。これで婚約者のマールトンも捕まえてもらえば、ひとまず安心できる。

死に戻ってから一月の間に、わたくしから婚約解消を申し出ることも考えた。

それだけで、わたくしが殺される未来は潰せただろう。

けれど、それでは犯人たちの思うつぼになってしまう気がしたのだ。

やり返さなければ、胸の奥にくすぶる怒りや悔しさを、ずっと抱えたままになるのではないだろうか。

被害を受けたわたくしだけが、不快な思いを飲み込んだままなんて……あまりにも理不尽だわ。

婚約を解消されるよりも、犯罪者になることの方が、彼にとっては痛手になるだろう。

わたくしの命を軽んじ、もてあそんだことは、絶対に許さない。

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